2013年8月16日金曜日

ナーバスいじめ回

いじめのことを思い出してました。

オレをいじめてたやつはサッカー、野球をやっていました。だから、サッカー、野球をする人間はいじめる側に加われる銃流階級のできる人間だと当時思ってました。だから、その2つをやっている人、特にそれをやっている少年は嫌いです。

いじめってつらいんですよ。自分は相手と対等にかかわりたいと思ってるのに相手からしたら花から対等にかかわる気なんてないんですから。自分がどんなに頑張って相手に気に入られようとしてもどうにもならない。

男の子がうらやましいです。特に自分の気持ちをそのまま表現しても傷つけれらない世界にいる男の子が。ねたみさえ感じます。自分がどれだけ頑張っても手に入れることができなかったものだからです。そんなの幻想なんじゃないかとおもいます。夢の世界の出来事。でも、この日本でいじめを受けたことがある人なんてほんの一握りだと思います。大体は自分の言っていることが正しくてそれが相手に否定されるなんて思わない少年時代を送ってきたのだと思います。

いじめとかいいことないです。いじめを受けた後、どうやって人とかかわっていいかわからなくなりました。いじめで自分の人とのかかわり方を全否定されてしまったからです。その後、大学に入るまで、人との関係は自分をいじめから守るという観点にたってしか人間関係を作ることができませんでした。一人ぼっちだといじめられるからです。だから、人間を選ぶときにはこの人があってるかどうかじゃなくて、この人ならいじめをしなさそうとか考えて選んでいました。大学に入って友人から「友達って一緒にいて楽しいとおもえる人のことなんじゃない」といわれてもその考え方が友達というものなのかどうかわかりませんでした。

あと、人と同じものを好きになることが全力で回避するようになりました。人と同じ趣味をもったっていいことありません。たぶん、だから、野球とかサッカーとかアニメ、ゲーム、漫画の話になるととたんについていけなくなるんだろうな。

小学生ってスポーツできれば英雄になれるみたいなところあるよね。スポーツできる人間=できる人間みたいなオーラが。できない人間はどうなるんだと。あの時いじめてるやつのあごを砕けるほどのパンチ力があれば。足を折れるほどのキック力があれば。自分にスポーツの才能があればあいつらを見返すことができたかもしれないのに。話は変わるけど、絶対にいじめられてる側がいじめてるやつを殺しちゃいけないっていうのはおかしい。だっていじめられてる側はいじめてるやつに心を何回も生きながらにして殺されてるんだぜ。それなのに、どんなにむごい殺し方をしてもいじめてるやつが苦しむのはせいぜい1,2日間くらいなんだもん。死んでしまったらいじめてるやつはなにも感じなくていいんだもん。それなのに殺しちゃいけないとかおかしい。


最後に、俺をいじめてたやつに言いたいことがあります。「俺の人生返せ!!」

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